その日はこの冬一番の冷え込みと言われる朝で、コートにお気に入りのマフラー、それから手袋をしてもその寒さが身に染みた。
夜がデザインを手掛けたと言うマフラーは、実はアリババのために作られた世界でただ一つしかないものだということを、彼は知らない。
最近では夜をホモネタにすることは少なくなったな、とアリババは思う。以前の自分では考えられないことだ。
なんとなく、誰かと夜で妄想するのは嫌だった。
腐男子を止めたわけではない。例えば夏目とジャーファルが仲良く弁当を食べているのを見ると興奮するし。定例会では相変わらず興奮しすぎてグラスの中身を溢す。
夜はカッコいいし、面倒見もいいし、ファッションセンスもいいし…そう考えると、顔に熱が集まる気がして、いつも考えることをやめてしまう。
もしかしなくてもその理由をアリババは気がついているけれど、認めてしまったら全てが崩れてしまう気がしていた。
同性愛が寛容なのは、二次元だけなんだ―――
そうしてついた溜め息は、白い姿で朝の通学路に消えていった。
暖房の効いた教室は、暖かいを通り越して暑く感じる。冷えた耳がじんじんと痛むが、室内に入ってしまえばこっちのものだ。
コートと手袋、そして大事そうに外したマフラーは教室の後ろにあるロッカーに纏めてしまいこんだ。
「よう、アリババ。寒かったろ」
「おはよう、超寒かった。今年一番の寒さとかあり得ないだろ…」
席に着くとすぐに夜がやってきた。耳元のピアスがちらちらと輝いて、思わず目を奪われてしまう。
朝はホームルームが始まるまで、夜と他愛の無い話をするのが日課となっていた。いつ頃からかは、正確には覚えていない。
「アリババくん、おはよう!」
そうして夜と話をしていると、アラジンがひょっこりと現れた。一時、夜がアラジンを怖がっていた時もあったが、最近ではそんな素振りを見せることも無くなり、それなりに仲良くやっているようだった。
彼が一体何を恐れていたのかは分からないが、尋ねてみても夜もアラジンも何でもないの一点張りで、アリババは仕方なく諦めたのだ。
「アラジン、お前熱は下がったのか?」
「心配かけてごめんよ。もう大丈夫だよ!」
そのアラジンは、ここ一週間ほど風邪で学校を休んでいた。
急に冷え込んだこともあり、その影響だろうと教師が話していたのを思い出す。モルジアナと一緒にお見舞いに行こうとしたが、もしかしたらインフルエンザかもしれない、と言われてしまい、結局お見舞いには行けずじまいだったのだ。
彼の元気そうな笑顔を見る限り、完全に治ったのだろう。そう安心していると、はい、とペットボトルを差し出された。
「アリババくん、寒そうにしてたから買ってきたんだ」
「えっ、いいのか?」
「風邪引いたら困るだろう?」
手渡されたのは、温かいお茶のペットボトルだ。
自販機で買ってきたばかりなのか、かなり温かい。温もりが手のひらへと広がってゆく。
少し迷ったが、素直に受けとる事にした。結果的に奢らせてしまったことには申し訳ないが、ちょうど温かい飲み物が欲しかったところだ。
「それじゃあ、いただきます」
遠慮なくペットボトルに口をつける。飲み慣れたお茶の味が―――
あれ?
お茶じゃないということを認識したと同時に、ぼんっ!という音を立ててアリババは白い煙に包まれた。
「あ、アリババ!?」
クラス中が騒然とする中、気がついたらアラジンの姿が何処にもなくなっている。
彼を追いかけて問い詰めたかったが、それよりアリババのことの方が今は心配だった。煙の中から、微かな呻き声が聞こえる。
「おいアリババ、大丈夫か!アリババ……!?」
やがて煙が晴れていく。アリババは、無傷であったといえば無傷だった。外傷らしいものはどこにもない。
しかし。
「な、なんだったんだよ、アラジンのやつ……ん?あれ?」
その声は普段のアリババの声とは違い、高いトーンで発せられている。髪の毛も、腰ほどまであるふわふわのブロンド。発育の良さそうな胸、細くて白い首―――
クラスが静まり返った。アリババ自身も、自分の身に起きた異常事態に声を失っている。勿論夜も、開いた口が塞がらないとはまさにこの事だと感じていた。
「……夜、俺、今…………」
「………………アリババ・サルージャは、男、だったよな……?」
「………おう…」
「…おん、な……に、なってる…」
アリババはゆっくりと立ち上がった。足がやけに落ち着かないと思って見てみると、プリーツのスカートが目に入る。ついでに、自己主張するように飛び出ている胸も。
「えっ?いや、まさか」
「ヴァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァア!?!?!?!?」
アリババの言葉は、突然の奇声によって遮られた。
誰の声だ、とクラスは再び騒がしくなる。
「この奇声は銀子!?」
「そ、そうなのか?」
彼女が昂りすぎて発する奇声によく似ていた。というより、こんな奇声を出せるのは銀子くらいだろう。
凄く嫌な予感がした。アラジンがいつの間にか居なくなっているのも、その内の要因だ。
アリババは教室を飛び出して、銀子のクラスへと駆けた。
彼女の奇声には、さすがに他のクラスの生徒たちも顔を覗かせていた。教室の戸を思い切り蹴破り中に入ると、まず黒板に張り付いている銀子が目に入った。先程の奇声もそうだが、がに股で黒板にへばりついている彼女は、本当に女なのだろうか?
突然の訪問者がいたにも関わらず、教室の人々はアリババに気がついていない。戸が蹴破られた事にはすっかり慣れてしまっているようだ。
視線の先には、黒髪でセミロングの女子生徒がいた。銀色のオーバルに切れ長の目が知的な印象だ。
アリババもよく銀子のクラスに来ていたので、その席の主はよく知っていた。
「望、さん…?」
彼女はゆっくりと顔をアリババに向けた。信じられない、といった表情をしている。そりゃ、誰だって信じられないし、当人が一番信じられないだろう。
しかし望の方は、アリババよりは多少冷静にみえた。
「どうしましょう…女性になってしまった、ようです」
いつもよりほんの少し高い声。
慌てて口を抑える望は可愛いけど、けど。
「どうなってんだよ……」
一限開始のチャイムに、アリババの声はかき消された。